登録証
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登録プレート
 後世に伝えたい数々の建造物を守るために、文化財を資産として活かし、かつ文化としても生かしていくことを支援する制度が、平成8年10月1日に施行された「文化財登録制度」です。
 対象となるのは、建築後50年を経過して国土の歴史的景観に寄与しているもの、造形の規範になっているもの、再現することが容易でないものなどの条件に当てはまる建造物。また、この制度は登録された文化財(建造物)でも外観を大きく変えなければ事業などに使用でき、現状のまま資産としても、文化としても活かせるという特長があります。
 このため樅峰苑も宿としての営業を続けながら、有形文化財としての登録を受けることができました。
樅の木
樅峰苑のシンボルともなっている樹齢380年以上の樅の木
 秋田における小山田家の歴史は、慶長7(1602)年、初代秋田藩主となる佐竹義宣公が常陸国水戸から出羽国秋田に移封された当時、藩主を慕って秋田の地に移った頃にさかのぼります。
 当初は西木村小山田地区に居住していたものの、やがて開田や水運の便を考え当時の強首村に移住したものと伝えられています。
 その後は、藩政前期(17世紀後半)頃から村の庄屋として、また、他領との境を守る拠人(こにん)として、当時の地域行政の中心的役割を果たすと共に、藩主や藩重役の領内巡視の際は御本陣を務めました。

竣工当時(大正6年)
 以後、小山田家は強首田圃などの美田を開くなど地域一体の開発にも尽力し、明治期から昭和に至っては歴代当主がそれぞれ代議士や県議員を務め、国政や秋田県政にも参画。三百数十年におよぶ長い歴史は現在に受け継がれています。
 この地に居を構えた当時に植え付けられた5本の樅の木が当苑の庭に聳えています。堂々としたその姿は樹齢およそ380年以上を数え、かつての庄屋の旗印ともなっていました。
 秋田県内においても、これほどの樅の木がひとつの所にまとまっているのは極めて珍しく、歴史を物語る貴重なものであり、この樅の木は今も当苑のシンボルとなっており、「樅峰苑」の名称もそれに由来したものとなっています。
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